療育センターに、わたしより一年遅れで入った彼女は、ちょっと変わった人だった。
療育センターに来ておきながら、
「うちの子は障害児じゃない」
「うちの子は大丈夫」
を繰り返していた。
対して、わたしのバアイ。
子どもは、定型のグレーよりだったが、発達障害でないことをカミングアウトすることによって、先輩ママにどんな目に遭わされるかは火を見るより明らかだったので、
「うちの子は自閉症でー大変なんですよー」
とテキトウに言って、うまくごまかそうとしていた。
そんな彼女のお子さんは、3歳になっても「ア! ア!」しか言えず。1歳か0歳のあかちゃんとほぼほぼ同じ感じで一日中母に抱っこされ、知的障害だということはみればすぐにわかるくらいだったが、わたしはそこはあえてなにも言わなかった。
うちの子は、市の教育コーディーネーターみたいな先生と面談し、3歳半になるころには、「普通クラスに行ってください」と言われており、その後、年中から保育園へ転園し、要観察からも要支援からも外れ、何度も市のコーディーネーターの先生からの巡回を受けたが、何の指摘もされないまま小学校の普通クラスに入っていった。
彼女のことがたまに気になることがあって、どうしたのか、一緒の保育園に入ってきた別のままに聞いたことがあるが、「もう、子どものことはあきらめた! 」といって、年長まで療育に通っていると聞いた。
例の彼女は、わが娘と同じ小学校の支援クラスに入ってきたが、普通クラスと支援クラスじゃ全く接点がなく、結局は一年、何も話すこともないまま経過した。ただ、彼女が毎日お子さんの送り迎えをしているのが心配だった。
臨時休校がはじまり、学校が再開したころ、彼女が支援学校にお子さんを転校させたと、風のうわさできいた。
わたしは、療育センターで、特に何もした覚えがないのに、大変そうなお子さんをもった先輩ママにでかい声で悪口を言われたり、仲間外れにされたりなどのいじめをうけてそれがトラウマになっていたので、療育センターのメンバーからは逃げるようにしていたが、ふと、彼女と町で出会い、ちょっと話した。
旦那さんと義両親と、自分との間で、教育方針の違いが出てきて、
それが原因で、家庭が不和になり、
無理やり支援クラスに転校させられたそうだ。
毎日、送り迎えしているのも、周りの視線が痛くていやだと言われたそうだ。
そんなこと言われても、仕方ないことだし、
ママが付き添いしていることに関して、下に見るような子供がいたら、
それは、そんなことで人を下に見る子供が悪いわけで、
それは、学級経営の問題なんだよ。
あなたのお子さんの問題じゃないよ。
わたしがそういうの目撃したら、いじめている方を忘れないように叱るし、
それにいじめっこが反撃してきても、決してそこでひるんだりするようじゃ、
大人はダメだよ。ダメなことはダメだって、毅然としてしからないと、
そして、わたしたちが守ってあげるから安心して、小学校に来ればいいのに。
そう伝えたら、
彼女も、そうだね、わたしもそれがただしいと思うし、
子どもが子供をいじめているところをみたら、
わたしも同じようにするよ。
ってさみしそうに言っていた。
夫婦間で育児方針が違うことが原因で、
離婚してしまう夫婦は少なくない。
しかし、彼女はお子さんに手がかかるから、
仕事に出て経済的に自立することもままならないと言っていた。
厳しい現実を見せつけられた気がした。
感覚過敏と言葉の理解の遅れはあったが、
だからといってなんで定型発達のグレーよりの娘が、
療育なんて通わなきゃならなかったんだ!
そのせいで、わたしは、たいへんそうなママに
トラウマになるレベルのいじめを受けたんだぞ!!
と怒っているわたしは、ちょっと反省した。