自分の発達障害、子どもの発達障害、その診断

自分の命と引き換えにするくらいの覚悟で産んだ子供が、発達障害だった場合、親としてはとても受け入れることができません。保健センターに指摘されても、保育士に指摘されても、小学校で先生に指摘されても、激しい戸惑いや驚き、嘘だったらいいのにと否定しまう気持ち、どうしても出てきしまいます。発達障害の親御さんにとって、お子さんが発達障害であるというのは受け入れがたいことであって、お子さんが小学校高学年になっても、中学生になっても、高校生になっても、高校を卒業しても、なかなか受容できませんし、それがむしろあたりまえなのです。

 

しかし、自分の発達障害ともなると話は別です。幼いころから、周囲と自分との間に違和感を感じ、それが普通なのかどうかもわからないまま過ごし、学年が上がるにつれて勉強についていくのが難しくなったり、知的な遅れがない場合は、学生時代はとにかくほかの学生との人間関係に苦労し、社会に出てからは、仕事で苦労し、鬱や引きこもり、不登校、会社に働き出してからは、仕事に行っても行ってもうまくいかずに職を転々とすることもあります。

 

大人が自分の発達障害の診断を受けに行くのは、受け入れるとか、受け入れないとかそういう問題とは違うところにあるといえます。自分が持ち続けてきた違和感とか、何をやってもうまくいかないという自己否定感じに『発達障害』という名前が付くだけなのです。自分の発達障害の場合、診断されると嘘だ! と思うより「そうだったんだ」「やっぱりな」と思います。

 

別に、診断を受けたからと言って、治るわけでもないですけれど、診断があれば、工夫も生まれるわけです。自分の得意なこと、苦手なことをきちんと検査して理解して、納得したうえで仕事を選ぶだの、職場でこうしたらいいああしたらいいだのいう工夫をしたらいいのです。