誰のための出産か

野田聖子議員の出産について、テレビで観た。
内容が壮絶だったため、感想を書くことははばかられた。

ネットの書き込みでは、親のエゴのために子供を犠牲にしているだの、誰のための出産か? だの、すごいバッシングが投稿されている。

それを見て、思ったのだが、出産する親というものは、誰しも、自分のために出産するのではなかろうかと思う。子供のために子供を作って、子供のために出産するなどと自分で言っている妊婦がいたとしたら、偽善ではないだろうかと疑ってしまう。

今は、妊婦の血液検査や、羊水の検査で、生まれてくる子供に障害があるかどうかをあらかじめ知ることが出来るのだが、この検査で障害が発覚したからという理由で、せっかく授かった命を殺してしまうことこそが、親のエゴでしかないのかもしれない。

マスコミでは、35歳を超えても女優さんたちは普通に子供を産んでいるという風に、高齢出産を前向きに報道する傾向が強いが、実際わたしが38歳で妊婦になってみると、「年齢が高すぎるので責任が取れない」という理由で、個人の産科に受け入れ拒否をされている。

どんなバッシングが来るか、怖くてとても書けないことだが、たとえ医学が進化したとしても、女性の体までが進化できるわけではない。妊娠するならわかければわかいほうがいいに決まっているのだ。わたしは今になって、もっと若くして産んであげればよかったのかもと後悔している。

ここでは、妊娠と年齢についての問題は別ものとして取り上げようと思っている。

過去に、わたしの友人で、私生児を産んだ女性がいて、わたしは、何を言っていいのかわからず混乱した挙句、「おろすという選択肢はなかったの?」と言ってしまったことがある。彼女は怒って「わたしに子供を殺せというのか?」
と言っていたが、妊婦になった今となっては、彼女がそう思うのは当然のことだと思う。

神から授かった命を10ヶ月胎内ではぐくみ、産み落としてあげることと、
いらない命だから、まだ人間の形にもなりきれてない段階で、殺してしまうことと、一体どちらが、親のエゴと言えるのだろうか。