2年前のあの日、
わたしは、ひとりで飛行機に乗って北海道に遊びに行っていました。
3月11日は旅の2日目で、札幌から出ている高速バスに乗って登別温泉におりました。
3時15分ごろ、到着したバスに乗って、高速バスの乗り場に向かいました。
帰りの高速バスを待つ間、道路の反対側の家に住んでいる人が、
仙台で巨大地震が発生したと言いながら外に出てきました。
その時、
なんだか台地がぐるぐると回転しているような感覚をおぼえました。
それが巨大地震だったのです。
携帯に母から電話がかかってきました。
「すぐに海から離れなさい。仙台で巨大地震が起こり、大津波が来るという速報が出ている」
そういわれ、帰りの高速バスに乗り込み札幌へ向かいました。
到着した札幌駅では号外が配られており、
仙台の地震が相当なものであることが知らされました。
北海道に向かう飛行機は、行く前から大雪のために飛ばないかもしれないと言われていました。
千歳空港に到着してから、そういえば仙台に行ったことがないなとなぜか思いました。
昔からわたしは悪運がついている。
もしかしたら、そのときの旅行先は仙台だったかもしれないのだ。
そして、その時に、わたしにもしものことがあったとしたら、
わたしは生きていなかったかもしれないし、
ともすれば、
娘だって産まれていないのだ。
旅行から帰ってきて、しばらくして、1か月入院、退院して数か月後に妊娠。
わたしが被災地にしたことといえば、ツイッターやミクシーでエールを送ったり、
(現在ツイッターのアカウントは削除済みです。期間限定でやっていたためですが)
北陸の各自治体や日本赤十字社にささやかな募金をしたりというささやかなことくらいです。
この震災でたくさんの、善良な市民が犠牲になりました。
わたしといえば、
少ないながらの確率で、
何事もなく生き延びています。
そしてできることといえば、
やはり、犠牲になった人たちのために
祈ることくらいなのです。