阪神淡路大震災から20年経ちました

大学生だったわたしは、当時、下宿していたボロアパートが派手に揺すったため、目を覚ました。大寒の朝、まだあたりは真っ暗だった。心配するほど、自分の周囲で変わったことは起こっていないという事実を確認してから、再びわたしは深い眠りについた。

目を覚まして、学校へ行ってみると、周囲のざわつきで、阪神淡路大震災をはじめて知った。
淡路島北部で壊滅的な地震が発生したというのだ。戦後、誰も経験したことがない規模だと言う。

学生のうちの何人かが、大きな車に乗り合わせて救助活動に行った。わたしは、病気を理由に行かなかった。話せば長くなるので、病気の内容は割愛するが、一緒について行っても足手まといになるだけだったのだ。

卒論を書いている先輩のパソコンのデーターが震災による停電で消えただの、なんだのという噂があちこちで聞こえて来た。愛知県に住んでいたわたしたちのところですら、震度5を観測したのだ。被災地はいったいどうなっているのだろう。阪神淡路地方でなにがおこっているか、それが知らされるようになったのは、実際、もっともっとずっと後のことだった。取り敢えずは、淡路島北部で壊滅的な地震が発生した。その自身は戦後誰も経験したことがないという情報だけが流れたのだった。

テレビもラジオもない4畳半の部屋に住むわたしには、オウム真理教のニュースも阪神淡路大震災のニュースもなかなか流れてこなかった。

大学の購買部でレジを打ち、単位認定のためのテストを受け、そして、まだまだ若い体で、結構重い病気と、あのころのわたしは戦っていた。そして、遠くで苦しんでいる人たちがいるのに何もできない自分の存在に、情けなさや悔しさも感じていたのだ。