発達障害の診断の意味

子どもの発達障害の診断が降りるのは怖いし、受け入れがたいと感じます。
でも、自分の発達障害は、診断が降りると、「よかった」と思います。

自分のことか、自分の子どものことかでぜんぜん、障害受容のプロセスだのっていうものが違ってくるからだと思います。

あと、自分の子どものことだと、自分がこんな風に産んでしまったという罪意識も出てきます。
たとい、重度の自閉症スペクトラムと診断されても、天使のようにスヤスヤと眠っている顔を見るたびに、その診断が間違いであってほしいと願うのが親です。そして、子どもが小学生になっても中学生になっても、受容なんて到底できません。しなくてもいいんですけどもね。

そこを、保健センターだの、保育士だのはわかっていないのです。

保健センターの医者は、「わたしの育て方が悪かったわけじゃないわって、ほっとするお母さんもいるんです」って言っていたけれど、必ずしもそう感じるわけじゃないし、子どもなんだから、これからの人生の長さってのがあって、ぜんぜん見通しが立たなくなって、どうしたらいいものかと途方にくれるのが普通の親の反応なのではないでしょうか?

お母さんは、子どもの障害を、受容なんてしなくていいんですよ。ただ、きちんと専門家に対応方法を教えてもらって、そのとおりに育児していればいいんです。そしてお子さんの特性とか得意不得意についてちゃんと理解しておくべきだと思います。逆に、特性や得意不得意がわかり、対応ができるなら、一生かけても受容なんかしなくたっていいと思います。

ただ、お子さん本人は、自分の障害をいつか知り、受け入れざる終えない日が訪れます。この場合、受容ではなく、宿命を受け入れるっていう感じですかね。

ただ、どうして自分ばかりがこんなにつらい思いをしなくてはならないのかと、ずっと理不尽に感じてきたことに関して、自分の障害について知ることによって、ストント自分の中で落ちるっていう感じで、「そうだったんだ! 知ってよかった! できないことや無理なことを、必要以上に我慢したり努力したりしなくていいんだ!」っていうのが当事者の受け入れ方なのではないでしょうか?

わたしは、子ども時代に高機能自閉症と診断されていて、小学校高学年とか中学校の時には母から聞いて知っていました。自閉症スペクトラムというのが、差別を受けるとかそういう診断名にはとても思えませんでした。逆に、自分を助けてほしいと、援助を求めるための、正当な後ろ盾のように感じていました。

だから、うちの子は、発達障害かもしれないと、悩んでいる親御さんたちは、酷なことかもしれませんが、せめて、お子さんが本当に苦しんでいるのがわかったときくらいは、発達障害専門の病院に連れて行ってあげてほしいです。行ったらすぐに診断が降りるわけでもないので、そんなに怖がることもないですよ。

ちなみに、うちの子は、専門の病院に1歳10ヶ月のときと3歳8ヶ月のときに連れて行っていますが、診断は降りていません。なぜか追い返されています。