「まめこちゃんは、もう、療育をいつ打ち切っても大丈夫だから」と園長に言わたのが3歳半の頃でした。通い始めたのは2歳半。実に、1年が経過したころの話でした。
それから、自分で私立の幼稚園とかに転園しちゃえばよかったのかなって、思っています。引っ越すなりなんなり、自分でなんとかしようともせず、市の子ども課が保育園に入れてくれる手配を整えてくれるまで交流だのなんだのをしながら待っていて、その間、ほんとうにつらかった。
療育ママたちとうまくやっていくには、まめこの発達のことをとにかくけなしまくらなくてはならなかった。しかし、わたしにとって療育ママなんかよりも自分の娘の方がよっぽど大事。
こっちが自分と同じか自分より下じゃないと気に入らないような療育ママ友と仲良くなんてしなくていいんです。だって、一生付き合う友達でも何でもないわけでしょ。誰かが子育てで困っている話をしはじめたらどんどん話が盛り上がってママ友の和がひろがっていくとかそういう病的な関係の友達なんて作りたくもありません。
だから、卒園までの残りの時間は、母親の会には参加せず、とにかく自分の娘と自分との時間だけでよかった。でも、つらかった。
保育園に転園してから、まめこはたくさんの友達に恵まれ、保育園が楽しくて楽しくて仕方なかった。ここで、まめこが本当に定型発達だということがわかった。
(自閉症スペクトラム障害というのは、人間関係が良好に築けず、孤立したり、いじめられたりする傾向が強いのです。それがグレーであっても、中学生くらいで壮絶ないじめをうけて自ら命を絶ってしまうケースも多いです。大人はそうとうな覚悟でフォローする必要があります。大人が手厚くフォローすれば、小さな命を守れるはずです)
もう、療育ママ友なんていらない!
保育園ママは本当に優しい人たちばかりだった。
おかしなひとはいなかった。
保育園ママと遊んでいた方が楽しい。
そして小学校に入った。普通クラスだった。支援は必要ないという判定が出ていたからだ。
そこで、発達障害の傾向は強いが、診断されるほどではなくでも、悩みぬいた末普通クラスに入ったという療育センターに通っていない子のお母さんと友達になった。お子さんはグレーだとは思うけれど、療育センターで知り合ったたぐいの変なお母さんではなかった。彼女とは今でも友達だ。
療育はいいわよーって、いろんなところに書いてあるけどさ、
そこに通わされる母親は、相当なストレスを抱えているんだよね。
相手より自分が下でないと、何をされるか言われるかわからない。
そこから抜け出せてよかったと今なら言える。