彼女は、教員免許を持っているので、もし自分の子どもが発達障害だったとしたら、
どのような進路を歩むことになるのか、わかっていたんだと思う。
3歳になっても「ア! ア!」しか言わず、
1歳の赤ちゃんのように、母親の抱っこから離れようとせず、
毎日のように、一緒に遊ぶ仲であり、2歳を過ぎたころから気が付いていたこちらとしても、本格的に心配になり始めた。
はじめは、
障害児だと思っていない。
と豪語していた彼女だったが、
年長になったころ
「もう、あきらめた!」
と言い、保育園に転園させようと考えることもなくなったそうだ。
その後、地元の小学校の支援級に通わせたが、
一人で登校することも難しく、
字も書けず、
友達と遊ぶこともなく、
学校に通うのも泣いて嫌がり、
旦那さんの意見に押し切られるようにして、
支援学校に転校した。
「もう、あきらめた」
という言葉が、わたしの心に刺さった。
うちの子が、結局は定型だったのは、
もともと、うちの子がそういう発達を遂げる子供だったからだ。
療育を受けたのは、共同注視や2項関係、3項関係の発達が遅れているのに気が付いて、
1歳代でわたしが相談を開始したからであって、その後、遅れていた発達は追い付いてきて、今は、よろこんで普通クラスに通っている。
療育に通えば、必ず伸びるというのは、実は違うのかもしれない。
療育に通っていても、遅れていた発達の遅れがさらに目立ち始め、
B2判定だったのにいつのまにかA判定になり、
ということも、あると話に聞く。
結局、
療育に通ったからこれだけ伸びたとか、
療育に通わなかったらこうなっていたかもしれないだとか、
そういうのは、いちがいには言えないんじゃないかと思う。
世間には『差別』っていうのがあるから、
よっぽど勇気を出さない限り、療育に通うことは難しいと思う。
勇気を出して療育に通っても、
こういうケースもあるのだ。
ただ、療育に通うことが必ずしもなにもかもわるかったわけではない。
彼女にとっては、同じ悩みを分かち合える他の療育ママとの出会いがあり、
それが生きる支えになっているのだから。