療育センターを泣きながら嫌がる娘

ある日の夕食。
保育園でははしを使って自分で食べられるのに、
母の膝の上に乗って食べさせてもらおうとしていたり、
いつまでも遊んでいて、食べようとしない行動がこのところ長く続いている為、
「療育センターに、また通う?」
と娘に聞いたら、突然、大泣きしはじめました。

療育センターは、楽しく一緒に遊べるお友達がほとんどいなかったため、
通うのが苦痛だったようです。
言葉の発達も知能の発達も定型とほぼかわりないまめこが、療育センターに何年か通ったからといって発達を阻害されることもなかったのですが、心には傷が残っているようです。

誰なんだろうね、1歳半とか2歳でちょっと気がかりなところがあるからという理由で何でも療育療育っていう人は。もしかしたら後でなにかあるかもしれないからという保険的な理由っていうのもわかるのですが、隣の市みたいに、1歳半から3歳は○○園、3歳以降も療育が必要な子は○○園と、分けるなり、発達障碍(疑いも含む)の程度によって、クラスを分けるなり、わたしはして欲しかった。

まめこは2歳半で療育センターに通い始めたけれど、その頃は既に3語分は出ていたんです。「まめちゃんのかとももし、死んじゃったよ」とか、「○○の会、おしまい」とか「まめちゃん、やる」とか言ってて、他の療育ママに「いつからしゃべれるようになったの?」とかあれこれ質問されたり、結果として、専門の病院で発達障碍の診断の必要はないと何度もいわれ、転園先の保育園でも、フォローの必要な子リストにうちの子の名前は載っていないと言われているのに、あの頃知り合った療育センターのママたちからは、うちの子も、手厚いフォローがついていると思われていたりとかしています。

療育センターに通っていて、絵本をひとりで読んでいるのを見ても、それをみて喜んだら母親のわたしがとてつもなくデリカシーがなく性格が悪いみたいに周りに思われそうで嫌だったし、出来るようになったことを喜ぶことすら禁じられている気がして、母親のわたしの方もつらかった。ひらがななんて2歳半で既に全部読めたし、3歳を数ヶ月すぎたころには本もひとりで読んでいたし、4歳で、たまに字を間違えはしても手紙を書き始めた。

わたしの方も、つらかったんだよ。
保育園に通うようになって、やっと、子どもの発達について親として普通に喜べるようになった。