相模原の事件について思うこと

わたしは今、生まれながらにして発達の障碍を持つ子どもたちの為の母子通園施設を利用している。子どもが1歳半検診で、言葉の理解の遅れと落着きのなさを指摘されて、療育を受けているのだ。幸いなことに、わが娘は、3歳9ヶ月で、発達障碍ではないという診断を受けた。要するに、グレーゾーンだったということだ。しかし、そこで一緒にすごしている子どもたちは、知的障害だったり、自閉症だったり何かしらの診断を受けている子が多い。(うちの子のようにグレーゾーンの子どもも通っているが)しかし、どの子も、ほんとうにかわいらしい。

3歳から6歳の、かわいらしい子どもが、自分の思いを表現できずに、ものを手当たりしだい投げたり、叫び声をあげたり、給食に嫌いなものが出てきて泣き叫んだりしているのが、当たり前の光景だと思って一緒にすごしてきた。施設を見学に来る人たちや、散歩の時にすれ違う人たちに、「あの子達、障碍児の施設の子だよね」とか言われたら、嫌だな・・・と思いながらすごしているけれど、幸い、そういう言葉を投げつけるひととは出会うことなく済んでいる。

今回の神奈川の施設の事件は、ちょうど、わたしたちの利用している園ですごしている子どもたちのなかでも、かなり重度のお子さんが、大人になってから利用するところになるだろうと予測される。彼らも、ご両親に介護力があるうちは自宅で過ごすのだが、介護者が年老いて病気になったりすると、そういう施設をたよらざるを得ないのだ。

障碍者がいなくなれば、税金の無駄遣いがなくなり(障碍者年金がおりなくなるから)、国のためになるだの、障碍者の介護に疲れ果てて、こんなに大変なひとたちはいなくなればいいだの、そうやって思う人は、もしかしたらこの事件の犯人だけじゃないかもしれない。

しかし、今では健康に暮らしているわたしたちだって、将来的に、足や手を失うかもしれない。脳出血で半身麻痺になるかもしれない。認知症になり、身の回りのことが出来なくなるかもしれない。そう考えたら、同じように、障碍者なんていなくなればいいなどと、言えるだろうか?

犯人からの政治家への手紙のようなものが公開されているが、それがいかに、稚拙でくらだないものか、書いた本人は気付かないのだろうか。それを思うと非常に残念だ。

就寝中を襲われ、逃げることも抵抗できないまま、震え上がりながら殺されるのをただ受動的に待つだけだった被害者の心の叫びは、この加害者に届くのだろうか。