お盆に同居のおじいさんが亡くなった話

(結婚当初から、夫の両親と同居でした。

ありがたきもの、婿をほめる舅、嫁をひいきにする姑。(枕草子より)

とはよく言ったもの。

わたしが作った食事に、義両親が手を付けることは一切なく、捨てろとまで言われ、

実家からの手土産も捨てられそうになったことがあります。サイテーですよね。よく

10年もがまんしたと自分でも思います)

 

ある日曜日の朝、わたしが仕事に行った後も起きてこなかった義父。義母は夫を呼び、

夫は心肺蘇生をしましたが回復せず救急車を呼びました。救急車で義両親が運ばれた後

そのころまで眠っていた娘を起こし、わたしの職場へ来ました。

「義父が起きてこないので救急車で病院へ連れて行った。仕事が終わったら病院へ来るように」

そう言い残し、夫と娘は病院へ。わたしまで病院へ行ってもかえって邪魔になるだけなので、仕事を終えてからどうなったか夫に聞くと、すでに死亡確認が終わっており、昼過ぎに遺体が返ってくるので、お弁当を買って自宅へ帰ってくるように言われ、それから、葬儀屋やお坊さんや親戚の人がたくさん集まってきて、本当に大変でした。

 

7歳になった娘は、来客対応に大忙しの両親をよそに、子供部屋でひとりテレビを見て過ごしていました。かなりのストレスだったと思います。お経を読むときも、葬儀屋で行うもの以外は全部、子供部屋へ逃げていました。

 

9月にはいり、学校がはじまって、自由時間に絵をかいたりしていたのですが、その絵は、なんと娘本人の遺影の周りを、おばけがたくさん飛び交っているものでした。相当なショックだったのでしょう。

 

葬式が終わってから、「どうして死ぬの?」「どうしてわたしは生まれてきたの?」「わたしも死ぬの?」「死んだらどこに行くの?」

 

抽象的な質問がたくさん娘の口から出てきました。そういえば自分も小学校2年だか3年だかのころ、死ぬことについて考えて心が休まらなかった時期があったなと思ったのでした。

 

その質問に答えながら、ふと、これらの質問に答えてくれるようなものは宗教しかないということに気が付きました。たまたま、葬儀の時にお経を読んでくれたのが、娘の友達のお父さんだったので、彼に、このことを話しました。こどもにとってはつらい体験だったと思います。